抱腹絶倒のコンクリ像が並ぶ、国境の街ノーンカーイの珍寺。
サワッディーカー、バンコクナビです。お寺巡りを楽しみにタイを観光される方も多いかと思いますが、タイのお寺は正直どれも同じに見えると思ったことはありませんか? 今回ご紹介するのは、タイ東北部・ラオスとの国境の街ノーンカーイにある“珍”寺、サーラーゲオグーです。建立したのは、仏教とヒンドゥー教をオリジナルレシピで調合した新興宗教の教祖。園内では、コンクリートの彫像によって彼の思想が具象化されています。
身勝手な犬たちの洗礼
まず目に入るのが、一匹の象にまとわりつく犬の大群。当初は意味不明でしたが、バンコクに戻った後でタイ人の友達に聞いたところ、これは『象に向かって吠える犬』という題。タイ語で“パーク・マー(犬の口)”とは口の悪い人のこと、地位やお金のある人を嫉妬して口汚くののしる行為を戒めているのだそう。なるほど。でもよく見るとこの犬たち、車やバイクを乗りまわしていたり家族でちゃぶ台を囲んで団欒中だったり、他人をやっかんでいるというよりもむしろ結構自分の人生を楽しんでる感じなんですが…。
謎を読み解く味方登場
それぞれの像には一応タイ語で解説文がついているものの、読めない人にとってそれはつまり暗号に等しいわけで。勝手な突っ込みを入れていくのもいいのですが、一人だとそれも疲れるし、やっぱり本来の意味を知りたい。ということで、たまたま居合わせたタイ人・レックさんに頼んで簡単タイ語でゆる~い解説をしてもらうことに。レックさんによると、解説はここの方言であるイサーン語で書かれているものも多くて、タイ人でも読解が難しいとのこと。と言いつつも『森に修行に入った仏陀に、果物を捧げる象と蜂蜜を捧げる猿』『悟りを開いて立ち上がる仏陀』『王たちの争いを諌める仏陀』などなど次々と読破してくれました。
ふむふむ。レックさんと一緒に20あまりの彫像を見て回った結果、ここの彫像に対するナビの理解は“仏教上の伝説のワンシーンにヒンドゥー教の神様が友情出演”というところに一旦落ち着きました。このお寺の別名であるワット・ケークも“ヒンドゥー寺院”という意味なのだそう。ナビの印象ではヒンドゥー率は3~4割といったところ。
コンクリ彫像で見る宗教説話
バンコクの古典人形劇の劇場ジョールイス・パペットシアターの入り口にも同じモチーフの像がありますね。これは悪魔“ラフー”が月を飲み込むために月食が起こるという伝説の一幕…のパロディ…ですか? と思ってしまうのは、どこかしまりのない口元のせいでしょうか。飲み込まれている月にも顔をつけているところに、ここの彫像の特徴である装飾過多の傾向がよく出ています。
仏陀が誕生し、一方の手で天を、もう一方の手で地を指しながら「天上天下唯我独尊」と産声を上げた名場面。ブッダの歩みに合わせて自然に発生したという蓮の葉には“知識”“集中”“信頼”等の言葉が刻まれています。
ガム(業)の見本市
結構まともな感じだなぁ…と、入り口で上がったテンションが沈みかけていたとき、口をぱっくり開けているなまずの様な生き物に遭遇。なまずの周りは低いながらも塀で囲まれていて、さながら結界の様相を呈しています。同じくなまずの表情に何か尋常ではない気配を感じたらしいレックさんと無言でうなずきあい、腰を屈めて口内をくぐります。
中は、3つの面と6本の手を持つ像を中心にした円形のスペース。3面6手ということはつまり3体ということで各部位の計算は合っていますが、著しくバランスを欠いた合併の結果まるで立体福笑い、見るものに奇妙奇天烈な印象を与えます。このスペースのテーマは“ガム(業・カルマ)”。前世からの行いが現世にもたらす影響について説いています。
男女が一生で出会うガム
では、順路の矢印に沿って1組のカップルの一生をガムの視点で追っていきましょう。この世に生を受け、無邪気な子供時代を過ごした男女がやがて愛を育み、永遠の愛を誓って結婚。
蜜月も過ぎた頃、夫に愛人がいることが発覚! これ、タイの男女の永遠のテーマです。「愛人の存在を認めようとしない本妻を殴ってるんだ」としらっとレックさん。
「え! ぶたれてる方が本妻なの!? ありえない! 最低! 撤去して!」女性であるナビは激しく抗議。傍らの愛人は薄ら笑いをすら浮かべていて、憎らしいことこの上ない。「だからこれもガムであって~、本人の意思とは関係なく~」レックさんがタイ人男性代表として必死の弁解。いくらガムの例だといっても教育上よろしくないと思うけどなぁ。
愛人問題も乗り越え、老いても添い遂げることを決めた2人。しかし成人した子供は両親の面倒を見ない。これもガム。辛いねぇ。参拝者によって手首に幸運を祈る糸が何本も巻かれているところがまた哀愁を誘います。
そして誰もが最後に迎えるガム、それは死。“この世で死を免れる者はいるか? 否いない!”聞き飽きたと思っていたこのフレーズに、現実感をともなった重みを感じます。このガム・ワールドは円形になっているので、歩を進めるとまた振り出しに戻ってガムにまみれた生を繰り返すというのがミソ。
まだまだあるガム
先ほど辿った男女の一生は、2重になった円の内側。外側には、男女間の関係に限らず、老いや病など人が一生で出会う一般的なガムが羅列してあります。これはお金や美しい妻など、全てを手に入れたにもかかわらず、悟りを得るために出家する者。そんな心境もガムによって説明がつくらしい。
これは公務員になるガム。なぜかこの像にだけニワトリが寄ってたかっていました。ほかに物売りになるガム、物乞いになるガム、というのも。職業も前世の因果によって決まるということなのでしょうか。
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身体が滅び白骨化しても離れられないガム。これぞまさしく腐れ縁。愛の実体は執着かも…なんて考えさせられてしまいます。
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手乗り悪魔は煩悩
中央の像の手に乗っかっているのは、われわれの理性に悪魔のささやきかけをする存在、いわゆる煩悩というやつですね。これは“満たされることを知らない貪欲さ”を象徴する小悪魔。
一人本堂へ
ここでツアーで来ていたレックさん時間切れ。バスに戻る時間となりました。再び一人になったナビ、園内は一通り見て回ったので、本堂らしき建物へと足を踏み入れることに。
中の装飾は、サイババの写真や仏像など、多宗教のものがチャンポンされていて悪酔いしそう。しかしそんなものは序の口、一番強烈なのが最上階である3階。奥の壁には他でもない創始者ブンルア氏の写真がずらり。お邪魔してまーす。あれ? なんかブンルア氏眼力すごいですね…。
よく見ると、ほとんど全ての写真に手描きできりり眉とぱっちりまつげが書き加えられているんです。フォトショップなんかない時代の涙ぐましい努力。「宗教家なら写真写りなんて表面的なことに執着することないじゃないですか~!」と、ここに足を踏み入れて以来最大の突っ込みを額の中で微笑む彼に入れてお寺を後にしました。
創始者はどんな人?
帰り際に買ったガイドブックの中から、ルアンプー・ブンルア・スリーラットの経歴をかいつまんで紹介しましょう。ちなみに“ルアンプー”というのは高齢の僧侶につける敬称で、ブンルアが名前、スリーラットが名字です。
1932年タイ・ノーンカーイ生まれ。学校での勉強には興味を示さず、家を飛び出し高僧に弟子入りし、両親に見つかっては家に連れ戻されるという子供時代を送る。やがて「清く生きるため」に白装束を身にまとい洞窟で仙人のような暮らしを始めた彼を敬い慕う者もいる一方、「アウトローだ」「左翼だ」と糾弾する者も多く、思想犯としての投獄も経験する。ブンルアが30歳を迎える頃、ラオスへ移住したスリーラット一家。ブンルアはその土地に自らの思想を反映させる像を建てる。それが後に『ワット・シェンクワン(ブッダパーク)』と呼ばれる元祖ブンルア・ワールド。ラオスの社会主義化後ノンカイに戻ってきた一家。ブンルアはノーンカーイでも寄付を募り、さらに規模を大きくした第二のブンルア・ワールド『サーラーゲオグー』を建てた。1996年、寺の完成を待たずに永眠。現在は彼の弟子たちが寺のメンテナンスを引き継いでいる。以上が、帰りがけに30バーツで買ったガイドブックから拾った生い立ちです。
亜流の白装束ではなく黄色い袈裟をまとった正統の仏教の僧侶になってほしいと、両親が彼を出家させようと髪を剃ったところたちまち視力を失い、出家させることをあきらめた瞬間視力を取り戻した、というエピソードを持つブンルア。黄色い袈裟のお坊さんがいて仏教寺院として機能している現在の状況は本来ブンルアが望んだかたちではないはずなのですが、その辺りは許容範囲なんでしょうか。
メコン川をまたいで広がるブンルア・ワールド
国境を越えて、サーラーゲオグーの兄貴分、ラオスのビエンチャンにあるワット・シェンクワン(別名ブッダパーク)にも行ってきました。タラート・サオ(朝市)の東にあるバスターミナルから“タードゥア”行きのバス(14番・45番)で45 分ほど。友好橋を通り過ぎ約8キロメートル、未舗装の道をしばらく行くと到着です。入場料は5000キープ(カメラ持ち込みは+3000キープ)敷地内は歩道で左右に分かれていて、左側が芝生、右側がブンルアワールドとなっています。※8000キープ≒40バーツ
かぼちゃの中には…
サーラーゲオグーになくてここにある一番の見所は、かぼちゃのようにずんぐりとしたこれ。身をかがめて口から中に入ることができます。
充満するカビ臭さを我慢しながら目が慣れるのを待って徘徊してみると、かぼちゃの中は回廊が小部屋を囲む二重構造になっているのが分かります。
回廊の小窓からのぞきこむと、小部屋には朽ちかけた像が無造作に置かれていて、そのラインナップからして1階が地獄・2階が人間界・3階が天界となっているようです。小部屋の中には、2階の回廊、もしくは屋上からアクセスできますが、中が薄暗いのと階段が狭くて急なのとで、ひととおり見ると、かなりの集中力と体力を消耗します。
頂上からの突っ込み
頂上へは、回廊と小部屋のどちらからも上がることができ、ここからブッダパークの全貌を見渡すことができます。足元は傾斜になっているので引き続き油断禁物です。ブンルア・ワールドのメインキャラである3面6手さんももちろんいらっしゃいますが、ノンカイのサーラーゲオグーに比べるとかなりコンパクトにまとまっているのが分かります。
でも、何も寝釈迦像までスリム化しなくても。
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なんかいいことあったんですか~?
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神様対抗試合でのフリーキック。
あら、堅気の方もいらっしゃる…。あぁ、ガムで公務員になられた方ですね。サーラーゲオグーで予習済みなのですんなり理解できました。
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とにかく一晩ゆっくり寝てください。
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ノーンカーイのサーラーゲオグーでは“ガム・ワールド”を、ラオスのワット・シェンクワンでは“かぼちゃ”をそれぞれのメインアトラクションとしてお勧めします。特にサーラーゲオグーの彫像は巨大で手が込んでいるものの、ブンルアは彫刻家ではないので造形美に感銘を受けるようなことは期待できませんが、一人の人間の独特の世界観に触れるという意味では一訪の価値があるかと思います。
どちらも宗教施設というよりは公園と言うほうがふさわしい雰囲気で、ワット・シェンクワンの方は実際に公園と化しています。ドネーションを兼ねた入場料は払いますがそれ以上の寄付の強請や入信の勧誘はないので、その辺は安心です。ただ、ワット・シェンクワンにはガイド料目当ての日本語を話す自称“学生”が出没することもあるらしいのでお気をつけくださいと、老婆心ながら付け加えておきます。以上バンコクナビでした。